井口優子のウェブサイト

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【断】世界で通用しない引きの手法

【断】世界で通用しない引きの手法
2006/07/22, 産経新聞 東京朝刊

 17日付の本紙掲載記事「対北非難決議採択10日間の攻防」には、またも外務官僚の弱腰外交が露呈していた。外務官僚が「落としどころ」を探ろうとはやるのに対して、安倍官房長官は「日本が降りるにしても最後の最後。ギリギリまで妥協に応じるそぶりすら見せては駄目なのに、なぜ分からない」と、ため息まじりにつぶやいたそうだ。

 私の在米15年の個人的生活でも、日米では落としどころを探す手法が違うことはすぐに思い知らされた。「米」は「世界」におきかえられることはいうまでもない。

 アメリカ人はまず一歩も二歩も前にでる。相手を論破する論理的思考、言葉そのものの力、法律、知的な脅しというカードすらも活用して押しあいへし合いして双方の妥協点を探す。一方、日本式手法はまず互いに一歩引く。自分が引いたことを相手が阿吽(あうん)の呼吸で理解することを阿吽の呼吸で期待する。が、引く文化がない国では、こちらが引いたことを言葉で説明しない限り、その行為(好意)は無である。

 押しの文化はアメリカだけではない。ニューヨークには知的レベルの高い中国人留学生や研究者が大勢いたが、同じアジア人なのにどうも彼らの言動が私の神経に触る。私の個人的領域に土足で入ってくる感じなのだ。が、すぐに彼らも押しの文化の人と知る。なにしろ中国では「日本人みたい」と形容されたら「押しの弱い駄目な奴」という意味になるのだそうだ。

 かくも引きの手法は世界では通用しない。しかし、こんなことは優秀な外務官僚なら当然分かっていることではないか。安倍氏ならずとも、「なぜ?」と問いたくなる。(評論家・井口優子)

2006/07/22 カテゴリー: 21 産経新聞【コラム 断】 | 個別ページ

【断】「日本沈没」の立ち向かい方

【断】「日本沈没」の立ち向かい方
2006/08/09, 産経新聞 東京朝刊

 小松左京原作、昭和48年に大ヒットした映画のリメイク版「日本沈没」がヒットしている。平成18年版監督の樋口真嗣氏は「『地震が起きたら大変だ』というのが、前作は中心だった。(中略)今作は一歩進んで『立ち向かう』ところを描きたかった」(本紙7月25日付文化面)と話す。その「立ち向かい方」に、暗澹(あんたん)たる気分になったのは私だけであろうか。

 「日本沈没」まで1年弱。沈没を避け得るかもしれない奇策は、日本列島を引きずり込もうとしているプレートを切断すること。掘削船で無数の穴を掘り、核弾頭に匹敵する威力をもつN2爆薬を掘削孔に投じる役が草ナギ剛演じる深海潜水艇パイロットだ。主人公は最初は国外退避を考え、やれることを何もしていなかったが、最終的に「守りたい人」のために生きて戻れない使命を果たしたいと自ら申し出る。

 草ナギの演技は何を考えているのかわからない能面のようで、私にはその内面の変化が理解できなかった。一緒に映画をみた戦中派の母(草ナギファンだ)は「彼はどうしていつまでもうろうろしていたのかしらねー」。

 と、劇場用パンフレットに監督の次の言葉をみつけた。「さまよってさまよって、最後は何かを助けるために行動するような人間に変わっていく話にしたかった」。しかも、最初は主人公はもっと行動的な性格だったのが、撮影中にかわっていったという。さまよう主人公のほうが時代としっくりあったということか。

 主人公の最後の台詞が「奇跡は起きます。起こしてみせます!」。特攻隊員の台詞のようだなー。この台詞も時代の空気を反映しているのか?(評論家・井口優子)

ナギ=弓へんに剪

2006/08/09 カテゴリー: 21 産経新聞【コラム 断】 | 個別ページ

【断】原爆と「闘う日本人」宣言

【断】原爆と「闘う日本人」宣言
2006/08/23, 産経新聞 東京朝刊

 14日のテレビ朝日「たけしのTVタックル」は小泉総理の終戦記念日の靖国神社参拝がテーマだったが、タレントの大竹まこと氏の以下のコメントが気に障った。「この国に原爆まで落とさないと戦争をやめないと(アメリカに)思われたんでしょう」。いまだアメリカの言い分をうのみにしているのか!

 アメリカ政府もアメリカ人の大多数も、日本への原爆投下を正当化して「原爆によって戦争が終結し、アメリカ兵士だけでなく、日本国民の命も救った。そのことに日本は感謝しなくてはならない」という。ここまでいわれて怒らなかったなら日本人ではない。

 私が公私ともに知り合ったアメリカ人の多数も前述のせりふをいう。学校でそう教わっているのである。しかし、ご存じか。そういう彼らは原爆被害の一葉の写真もみたことがないことを。

 1995年、ワシントンにあるスミソニアン航空宇宙博物館のハーウィット館長(当時)はもっと客観的に歴史を見直すべく原爆展を企画した。が、退役軍人会らの強い反対に、勝者からの一方的な見方の展示に終わった。

 その年、私はフィラデルフィアに住み、その展示会をみた。勝者のシンボルのごときエノラ・ゲイ号の前で喜々として記念撮影するアメリカの子供たち。本来そこで展示されるはずだった焼けただれた時計や弁当箱や着物や被害者たちの写真は、スミソニアン航空宇宙博物館から車で十分ほど離れた私立アメリカ大学で、同時期にひっそりと展示されていた。満杯のスミソニアンに対して、数えるほどの観客だった。

 状況は今も変わっていない。勝者の言い分に迎合しない「闘う日本人」宣言こそ必要だ!(評論家・井口優子)

2006/08/23 カテゴリー: 21 産経新聞【コラム 断】 | 個別ページ

【断】不妊治療の現場で養子の勧めを

【断】不妊治療の現場で養子の勧めを
2006/09/01, 産経新聞 東京朝刊

 厚生労働省は8月26日、少子化対策の一環として、不妊治療のうち健康保険が使えない体外受精と顕微授精に対する公的助成を拡充することを明らかにした(27日付産経新聞)。

 日米の不妊治療現場を取材したことがある。アメリカ取材ではどんなテーマでもいつも何かに驚かされるのだが、この取材でもっとも驚いたことは、治療のかわりに養子を勧めることだった。

 アメリカは統計で現実をみようとする国だが不妊治療でも同じである。クリニックではまず、年齢別の1、2回めの成功率を統計でみせる。35歳をすぎると卵子の受精能力が「ガクッ」と落ち、40歳になると「ガクッガクッ」と落ちることを数字はシビアに語る。

 治療結果を行政に報告する義務があり、全米平均よりもいい数字を得ようとするクリニックは無益な治療は勧めない。といって、ただ子供をあきらめなさいとはいわずに代案を示す。その時「不妊治療にかかるのと同じ金額を使って確実に子供を手にいれる方法は養子です」という。なんと合理的な台詞か。

 と、取材先のクリニックの38歳の看護師さんも1回も不妊治療を試さずに養子をとったという。不妊治療1回分のお金しかなかったからだが、それだけではない。「私たち夫婦がほしいのは子供です。自分の血をひいた子供でなければならない理由はありません」。なんと懐の広い台詞か!

 しかし、日本人とてこのように思っている夫婦は少なからずいる。厚生労働省にいいたい。経済援助に異論はない。が、不妊治療の現場で養子を勧めるくらいの、日本人の懐の広さを示す行政指導をお願いしたい。(評論家・井口優子)

2006/09/01 カテゴリー: 21 産経新聞【コラム 断】 | 個別ページ

【断】文学的「自決」と医学的「死」

【断】文学的「自決」と医学的「死」
2006/09/17, 産経新聞 東京朝刊

 作家の吉村昭さんが膵臓(すいぞう)がんで亡くなられた。「文藝春秋」10月号に掲載された「『お別れの会挨拶』全文―吉村昭氏の最期」を再読すると、自宅で療養中、点滴の針を自ら抜かれて、翌日亡くなられたという。夫人で作家の津村節子さんは「私は目の前で、彼が“自決”するのを見てしまった」と嘆かれ、この言葉が一斉に報道された。

 私はお二人の作品のファンであり、遺族の気持ちをさかなでするつもりはない。が、ここ数年がんの取材をして多少とも勉強した結果、点滴を外しただけで死ぬだろうかと思った。その行為を「自決」とするのは、吉村氏の戦争作品にかんがみた文学的表現としては正しい。が、医学的にみたら違うのではないか。なぜその視点からの記事が書かれないのだろう。

 がん専門医の気持ちも同じで、笹子三津留先生が以下のコメントを下さった。「正確な点滴内容や病状がわからないので医師としてコメントするのは危険です。が、それでも言えることは、普通、がん患者さんの点滴を外しただけでは死にません。点滴を一切しないホスピスもたくさんあります」。笹子先生が担当した末期患者さんの中にも「点滴はもういいです」と言われ、中止することがあるという。それでも、週単位で生きられるそうだ。

 「呼吸器を外したらすぐに死にます。それは“自決”です。吉村さんは亡くなる前日にたまたま点滴をやめられたのでしょう」

 遺族が「自決」と悲しむ気持ちは十分に理解できる。しかし、3人に1人ががんで死ぬ時代、正確な医学情報も報道してもらいたいものだ。(評論家・井口優子)

2006/09/17 カテゴリー: 21 産経新聞【コラム 断】 | 個別ページ

【断】アナクロな雅子さま批判

【断】アナクロな雅子さま批判
2006/09/28, 産経新聞 東京朝刊

 「平成皇室の危機は去ったのか」(文藝春秋10月号)の討論会で、皇室の伝統を主張して、雅子妃を批判する意見のトーンが高いのに驚いた。宮内庁の意見の大勢かとも思わせるほどの趣で、擁護派の声は押しつぶされんばかりだ。

 「『私』を捨てて、国民という『公』のために祈ってくれているという信頼が、日本人と皇室をつなぐ絆となってきた」「どうも雅子様は、『私』のことで精一杯で、本当に国民のことを思ってくださっているのか」「外務官僚としてのキャリアの延長線上に皇室外交ということを志して、公務の見直しをご夫妻で考えているのだとすると、それは皇室の伝統とは相容れない」等々。

 伝統という視点からみればそのとおりだが、その伝統ゆえに東宮妃になることをお断りする候補者が続出したのではなかったか。時代とともに皇室の公務は変わる。だからこそ国民とともに皇室はある、と皇太子さまはお考えになられて雅子さまを説得されたと理解している。

 雅子さまが学ばれた欧米の大学では、単なる自己実現ではなく、自分の能力を社会にどう貢献できるかという志を重要視する。「皇室という新しい道で自分を役立てたい」という趣旨の雅子さまの覚悟のお言葉を思い出す。

 そんな自分を生かす欧米式志では困りますというのなら、婚約前に声を大にして言うべきで、結婚後に批判するのは、失礼ながらだましうちみたいなものである。そもそも、国民の幸福のために「私」を捨てるべきと思う人がこの時代、そんなに大勢いるだろうか。

 雅子さまという新しい血が生かされる皇室の形を願う国民こそ多いはずだ。(評論家・井口優子)

2006/09/28 カテゴリー: 21 産経新聞【コラム 断】 | 個別ページ

【断】酔っぱらいに甘かった日本社会

【断】酔っぱらいに甘かった日本社会
2006/10/13, 産経新聞 東京朝刊

 現職の警視庁交通執行課の巡査部長までもが酒気帯び運転で現行犯逮捕され、免職になった。はじめての酒気帯び運転とは思えない。「今回は見逃せ」との甘えが今までは許されていたと推測するほうが自然だろう。なぜこのようなことが起きるのか。本人の自覚欠如のみならず、酔っぱらいを許容してきた日本社会も影響している。

 20年ほど前、「在日アメリカ人がみる日本」というテーマで取材を試みた。私が選んだ30歳前後の彼らは、日本文化や社会に心底興味をもっていた。そんな彼らでも理解しがたい日本人の謎の1つが、駅のホームや電車内で吐く若者や大人たちだった。「日本ではなぜ、酔っぱらいは許容されるのか!?」

 数年後、アメリカに住んで彼らの疑問を実感した。アメリカには付き合い酒はない。仕事の憂さを酒ではらしても、酒に飲まれたら「自分をコントロールできない人」として軽蔑される。サンフランシスコ在住時には、事故を起こした運転者に酒を勧めた人の法的責任も問われることになった。

 日本に戻り社会を見渡すと、色々な面でアメリカ化してきているのに驚く。このトピックでも、アメリカのような車社会化が、特に地方で進んだ。酒を飲んだ運転者に愛する家族を殺された遺族が、泣き寝入りせずにアメリカ式に裁判をおこして酒を勧めた人を訴えもした。昔のヒット歌に「チョイと一杯のつもりで飲んで…」とあったが、その延長にある「はしご酒」を防ぐためには「チョイと一杯」も厳しく取り締まることとなった。「酒の席」が言い訳にならないアメリカ型社会となったことをよくよく自覚せねばならない。(評論家・井口優子)

2006/10/13 カテゴリー: 21 産経新聞【コラム 断】 | 個別ページ

【断】「言葉不全」がいじめとなる

【断】「言葉不全」がいじめとなる
2006/10/28, 産経新聞 東京朝刊

 担任教師の言動がいじめのきっかけとなり、生徒を自殺に追いやった。

 15年ほど前も、ある日突然1人の生徒が全員に無視(シカト)されるという、いじめ報道があった。が、日本から遠く離れたサンフランシスコに住む私が同じ目にあうとは思いもしなかった。しかも、相手は東京からきた弱者を助けるボランティア団体の人たちだった。

 ボランティア運動では先を行くアメリカに学ぼうと彼らはやってきた。団長は全国紙を退職したばかりの元記者。副団長は都職員。旅行社が中に入り、アメリカのボランティア団体の話を聞く講義などを組んでいた。

 私は講義をするアメリカ側から招待された。日本の月刊誌用に彼らを取材したばかりの私の知識が、日米の架け橋になれば、といわれた。それこそボランティア精神で引き受けた。同じ日本人だから、一行と一緒のテーブルについて自由に意見を述べてくださいとアメリカ側にいわれたのだが。

 3日めの朝、突然日本人一行に無視された。おはようございますの挨拶を返してくれたのはたった2人。1日中無視された夕方、感じのいい副団長が私を呼んで言うのだった。「あなたがブルーアイで金髪だったら-。同じ日本人が英語も話せてボランティアのことをわれわれよりもよく知っているのはちょっと」

 人にはそれぞれの感情や言い分がある。それを「無視」ではなく、まず言葉で伝えようとするのが大人ではないか。子供社会のいじめは、コミュニケーションツールとしての言葉を持たない大人社会の反映そのものなのだと実感した。残念ながらそれは今も変わらない。(評論家・井口優子)

2006/10/28 カテゴリー: 21 産経新聞【コラム 断】 | 個別ページ

【断】移植医療の発展が国を守る

【断】移植医療の発展が国を守る
2006/11/14, 産経新聞 東京朝刊

 愛媛県宇和島市の宇和島徳洲会病院で行われた病気腎移植に国の調査が入ることになった。在米時、臓器移植を取材したことがあるが、移植はやはり特殊な医療である。脳死の場合は他人の死により、生体の場合は健康な人の体にメスをいれて初めて成立する。移植に携わる者は襟を常に正すこと、当然である。

 移植医療の危うさがあぶりだされると、「だから移植はいらない」と全面否定の声があがるが、その選択はまちがいである。ことに腎臓移植は国の経済にとって救世主になるかもしれないのだ。

 近頃はやりの言葉、メタボリック症候群になって内臓脂肪が蓄積すると、糖尿病予備軍となる。食事制限や運動などの努力を怠っていると、糖尿病になり、腎不全を起こして透析となる。

 元日本移植学会理事長の太田和夫医師は「去年の統計では、透析に入った患者の原疾患(原因となる病気)の実に42%が糖尿病による腎不全でした。圧倒的に1位です」。栄養過多による糖尿病は豊かな国の病気で、「(医療費が国を滅ぼす)亡国病」なのだそうだ。

 アメリカは、糖尿病による腎不全患者多数の先輩国だ。しかし、高齢者を除いては、透析は移植までのつなぎ、という感覚だ。医療経済の視点からも5年や10年の長期でみると移植のほうが医療費が安い。そのうえ、移植成功後は24時間普通の生活を送れる。透析は週に3日、1回4時間は自由を失う。

 一方、日本では、まだ多くの患者が死ぬまで透析機と共存している。去年は25万人強の透析患者数に対して、移植件数はたったの994件だった。国を守るという視点からも医療の選択を考えたい。(評論家・井口優子)

2006/11/14 カテゴリー: 21 産経新聞【コラム 断】 | 個別ページ

【断】「自分の幸福」から「他者の幸福」へ

【断】「自分の幸福」から「他者の幸福」へ
2006/11/25, 産経新聞 東京朝刊

 なぜ、この国では子供も大人も死に急ぐのか。ことに、強く生きることを子供に教えるべき重要な立場にある一人、校長職の大人が、いかなる理由であれ自殺をしては、子供に自殺をするなと言っても説得力はない。

 しかし、私の高校時代の師は「公立高校の校長といっても、県教委、文科省という上司をもった中間管理職。昨今増加の一途の中間管理職の自殺の側面もあるのではないか」と同情する。

 アメリカ型競争社会を日本に持ち込み、アメリカのように「生き方の選択肢のある国を」と前政権はのたまった。が、アメリカ人のおおらかさ、いいかげんさも一緒に輸入しなければ、まじめな日本人は競争社会の重圧に押しつぶされる。

 アメリカだと、自分の責任でも、それを逃れようとして知恵を絞る。文字どおり、自分の一部だった仕事を失っても、仕事のない自分を無意味な存在とは考えない。

 フィラデルフィアに住む友人の隣人は40代で大企業をリストラされた。が、彼はあわてず、会社勤め中はできなかったゴルフ三昧に2週間を過ごした。そして、おもむろに、今度は自分のペースでできる仕事を探した。多くのミドルクラス(中流)は、女房も働いているので家族を養う責任は分担される。子供の教育費も、親の収入が少なくなれば、子供自身の名前で借金をさせる。親の責任という重圧も、必要とあれば逃れるのである。「自分が幸福でなくて、どうして(家族も含めた)他者を幸福にできるのか」と、幸福になる努力を惜しまない。しかし、そんな大人を見て、子供も自分を大事にすることを学ぶのだ。(評論家・井口優子)

2006/11/25 カテゴリー: 21 産経新聞【コラム 断】 | 個別ページ

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