【断】ボランティア代理母への違和感
2007/04/24, 産経新聞 東京朝刊
「40歳から50歳までのボランティアの代理母を公募します」と先日、諏訪マタニティークリニックの根津八紘院長と患者がテレビに登場した。子宮のない30代の患者はもちろんのこと、院長まで涙ながらに不妊患者の願いを訴えた。学会の倫理規定をさておくとしても、この会見に疑問と違和感をもった。
向井亜紀さんのケースでも明らかなように、アメリカでは代理母は社会的認知を受けている。いろいろな問題を含みながらも、基本的には人々の善意で支えられている。そこで根津院長が「ボランティア」という概念を持ち出してきたのは理解できる。しかし、アメリカの場合、善意でおなかを貸す人の多くは、自分ができることをしたいという宗教心に基づいている。では、日本の代理母を支えるものはなにか。日本的同情なのか。会見では院長までが涙ぐみ、「情」に訴えていると誤解されても仕方がない様子であった。
忘れてはならないことは、善意の行為に伴う死のリスクである。出産には、今でも医師がコントロールできない死の可能性があり、一昨年でも62人が亡くなっている。高齢出産の死のリスクが高いことはいうまでもなく、母子衛生研究会の最近5年間の統計を分析すると、40代の出産の死の危険率は一番安全な20代前半の10倍以上を示している。子宮のない女性は安全な高みに立ち、代理母はわずかでも命の危険にさらされるのが現実である。
日本で代理母を考える人はネットで出産のリスクを調べ、その数字を許容できるか否か、医師まかせではなく自分なりに判断すべきである。たとえ「情」が日本の代理母の動機であっても、その行為のメリットとデメリットを冷静に考える「理性」が当事者全員に必要とされる。(評論家・井口優子)