【断】アナクロな雅子さま批判
2006/09/28, 産経新聞 東京朝刊
「平成皇室の危機は去ったのか」(文藝春秋10月号)の討論会で、皇室の伝統を主張して、雅子妃を批判する意見のトーンが高いのに驚いた。宮内庁の意見の大勢かとも思わせるほどの趣で、擁護派の声は押しつぶされんばかりだ。
「『私』を捨てて、国民という『公』のために祈ってくれているという信頼が、日本人と皇室をつなぐ絆となってきた」「どうも雅子様は、『私』のことで精一杯で、本当に国民のことを思ってくださっているのか」「外務官僚としてのキャリアの延長線上に皇室外交ということを志して、公務の見直しをご夫妻で考えているのだとすると、それは皇室の伝統とは相容れない」等々。
伝統という視点からみればそのとおりだが、その伝統ゆえに東宮妃になることをお断りする候補者が続出したのではなかったか。時代とともに皇室の公務は変わる。だからこそ国民とともに皇室はある、と皇太子さまはお考えになられて雅子さまを説得されたと理解している。
雅子さまが学ばれた欧米の大学では、単なる自己実現ではなく、自分の能力を社会にどう貢献できるかという志を重要視する。「皇室という新しい道で自分を役立てたい」という趣旨の雅子さまの覚悟のお言葉を思い出す。
そんな自分を生かす欧米式志では困りますというのなら、婚約前に声を大にして言うべきで、結婚後に批判するのは、失礼ながらだましうちみたいなものである。そもそも、国民の幸福のために「私」を捨てるべきと思う人がこの時代、そんなに大勢いるだろうか。
雅子さまという新しい血が生かされる皇室の形を願う国民こそ多いはずだ。(評論家・井口優子)