【from】井口優子 臓器移植の現場
2004/03/25, 産経新聞 東京朝刊
遺族の承諾だけで、脳死になった人の臓器提供を可能にする法案を検討中との記事を読んで、相反する二つのシーンを思い出した。
十年前、全米屈指のカリフォルニア州立サンフランシスコ医学校大学病院の肝臓・腎臓移植プログラムを取材したことがある。
このとき、私ははじめて人体の内部を見た。脳死の人から提供された肝臓が、新しい持ち主の体内で命をつながれた瞬間、肝臓の色がパッと真紅に輝く。その美しさに魅せられて、この専門を選んだという医師の話に、その色を見たいと思った。
一回目の手術見学は何を見たのか記憶にない。ただ恐れおののいただけだった。通いつめること五度目にして、ようやく真紅のその色を直視し、医師の言葉を少し理解した気がした。
数日後、スタンフォード大学病院の病室で、交通事故にあった十八歳の少年が脳死の判定が下されるのを待っていた。ベッドで眠っている少年は、なるほど温かく、生きているかのようであった。
アメリカ人の女性医師と留学していた日本人医師がその日の臓器摘出担当医であった。脳死が人の死とは、まだ日本では受け入れられていないときで、手術台に移された少年に日本人医師は合掌した。一方、アメリカ人医師は、すでに魂の抜けた体という扱い方で、彼女は別のトピックを甲高い声で楽しそうに笑って話していた。
そして、神妙な日本人医師と笑うアメリカ人医師が組になって、少年の胸骨を手術用電気ノコで腹側(ふくそく)から一気に切り裂いた。どの臓器が使えるかを素早くチェックしていく。「若いと臓器がきれいねー。よかった、腎臓は一つは使えるわ」と、喜びの混じった彼女の声に私は吐き気がしてきた。
「脳死」に対する文化の差が顕著に表れた瞬間であった。その後、臓器摘出の現場を見に行く気にはどうしてもならなかった。しかし、もし五回見学したなら、使える臓器の美しさを少し理解できるようになったのだろうか。(いぐち・ゆうこ=ジャーナリスト)