【from】井口優子 阿吽の呼吸
2004/02/27, 産経新聞 東京朝刊
話題の日本映画「半落ち」を見た。ご存じのように原作はベストセラーとなった横山秀夫氏の同名小説である。アメリカに長らく住んで帰ってきて手にした原作には、生きかたの選択肢が少ない閉塞的世界で生きる人間の葛藤や救済が描かれていて、私はひどく「日本」を感じてしまった。
やはりアメリカ帰りの本好き映画好きの友人は、氏の小説のこの日本的部分を嫌う。が、私はむしろ、私にとってはある種異国となった日本が描かれている小説に興味を持ち、映画館にも足を運んだ。滞米中、各都市の映画祭でいろいろな国の作品を見る機会に恵まれ、社会に自由がない国の映画のほうが面白いと思ったからでもあった。
「半落ち」の映画評は悪くないが、私の評価は期待外れであった。映画では登場人物は皆いい人になり、「阿吽(あうん)の呼吸」で相手を理解しようとする。小説と違うのは、主人公を除いた登場人物の多くが感情をオープンにすることだ。話を分かりやすくするためであろうか。
さあ泣けといわんばかりのシーンに、観客が呼応して涙する様を立って見ているうちに、「阿吽の呼吸で理解しあう居心地の良さは日本映画の中だけのお話とご承知ですよね」「このコミュニケーションの方法が世界で通用すると勘違いはしていませんよね」と観客に問いかけたくなってしまった。
ことにアメリカでは、言葉や態度で自分が何を思っているかを相手に語り、論争し、おしあいへしあいして落とし所を探す。私も阿吽を期待して痛いめにあったことは何回もある。もちろん感情を発露させるだけでもだめである。
今回のイラクへの自衛隊派遣でも、日本政府がなぜ派遣を決めたのか、国民は支持しているのか否かをもっと世界に向かって語る必要がある。政府まかせにせず、国民一人一人もこの問題をどう考えるのか、言葉で語る訓練をする必要がある。阿吽の映画に泣いているときではないのです。
(いぐち・ゆうこ=ジャーナリスト)